2013/11/27

宮鍵+剣菱の話



酒呑み歩き 下北沢・宮鍵+剣菱の話

下北沢の呑み歩く。

駅前商店街の喧噪から離れたところにある、おでん屋「宮鍵」。下北沢の街とともに歴史を刻んできた大人の酒場だ。若者(特に学生)の多い街は、安いチェーン酒場が多い。下北沢にはもうひとつある。原風景を思わせる古い町に住む、大人のための安い酒場だ。「宮鍵」も、その1店。

60年の歴史の関西風おでんを食べながら、500年の歴史の剣菱を呑みながら店主に下北沢の昔と今の話を聞いた。再開発への疑問や今後の下北沢の不安。

「剣菱」で、まず思い浮かべるのは「こち亀」の両津勘吉が8歳から、ずっと呑み続けてきた酒。いちばんすきな酒。その話を、ずっと覚えて続けてきて、初めて呑んだ日本酒が「剣菱」だ。旨くなかった。

2013年になってHPができた「剣菱酒造」。その酒の好き嫌いはあるが、日本酒の歴史で、知っておきたい酒蔵のひとつだろう。

HPのトップページにも書かれているが、1505年創業の「剣菱酒造」は、500年間で蔵元(酒造)家が5回も変わっている。それでも愛されて、呑み続けられて現在に至ったのは皆様のおかげだと書かれている。そして、その歴史を残すためにHPを始めたという。まあ、500年の歴史という銘柄(ブランド)を売買で繋いできた感もあるが。

実は1505年創業というのは明らかでない。当時の、どの文献にも「剣菱」の銘は書かれていない。文献には「剣菱」のロゴマークが描かれているだけ。ロゴマークはあっても、銘はわからない。その後に、そのロゴマークの付いた酒が江戸で飛ぶように売れるようになり、「剣菱」と呼ぶようになり、「剣菱」という銘になった。

「剣菱酒造」は、かつては酒処で有名な伊丹にあった。1929年に、上質の酒米「山田錦」や上質の水「宮水」があり、「灘の生一本」で知られる灘五郷のひとつ、御影郷に酒蔵を移した。

地元では葬儀の時に用いられるために、「弔い酒」といわれている。神社でも、よく酒樽を納められている。また、赤穂浪士が討ち入る前に蕎麦屋で杯を交わした酒といわれている。

一時期、他の酒蔵から酒を買って、「剣菱」の銘で悪質の酒を売ったという噂話があった。そういう噂話が、酒の好き嫌いとは別に避けられてきた理由かも知れない。

最近は、純米吟醸のすっきり淡麗辛口、フルーティな酒が好まれるが、「剣菱」は真逆のどっしり辛口という好き嫌いのはっきりした酒だ。500年間とは言い切れないが、ずっと作り続けてきた酒。大きい酒蔵でありながら、酒だけは歴史を受け継がれてきたようだ。

ちょっと辛口(笑)な文面になってしまった。

ただ、日本酒を呑む機会が増えて、「剣菱」を久々に呑んだが、旨かった。昔の日本酒らしいというより、「剣菱」らしいというかんじ。「宮鍵」に「剣菱」があるのが、とっても嬉しくて呑んだが、やっぱり旨い。もし、呑んでないなら。もし、呑まず嫌いなら。ぜひ。

店内には60年の歴史が刻まれている。広い調理場、たくさんの棚は昔の賑わい。今は広い調理場を店主一人が歩き回り、たくさんの棚に置かれてる器は少ない。でも、味は変わらない。初めて来たが、きっとそうだろう。

ワインやバランタインも安く呑める。おでんに合うかは別だが。客の好みも変わったんだろう。ここは剣菱(1合・420円)を燗で呑み、できたてのおでん(100~300円)を食うのが、いちばん合う。1000円くらいで、ちょうど心も体も温まる。「宮鍵」もぜひ。

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